36歳でADHDと診断された女の忘備録

日々の記録を残していこうと思います

なんだかなぁ、と思うこと

こんにちは、すみれです。

実は最近すごく憂鬱なことがあって塞ぎ込んでいました。

 

SNS発達障害と診断された子が自死してしまったという事件が飛び込んできて、ツリーを見てげっそりしてしまったというかなんというか…

この手の話題は避けようと思っているのですがうまく消化できずにいるのでブログに書き残そうと思います。

 

この事件は少し前の出来事なんですが、若いバイク乗りの男の子がバイクで好きなところに行って好きな人たちに会うという素敵な企画から始まったものでした。

けれど、最初から診断結果に絶望して結果最悪な事態になってしまいました。

ちょうどその頃に私自身が検査結果が出た頃ですごく衝撃を受けました。

たしかに見ているポイントがズレていたり、うまく生きられないもどかしさしか感じていて私自身もよく消えたいと思うことがあります。気持ちはとても良くわかる。もしかしたらああなっていたのは自分自身かもしれないななんて思っていました。

なんとなしに寄せられているコメントを見れば彼を悼む言葉で溢れていたけれど、同じ発達障害を抱えた方のコメントが炎上していてなんだかなぁって思ってしまいました。

私は特に嫌味ともなんと思わなかったコメントは普通の人から見たら嫌味だとか空気が読めないだとか、これだから発達は〜みたいなことが書かれていたんですけれどこういう標的にされるから生きにくくて自死を選んだんだなって思って眺めていました。

食ってかかった人たちは亡くなった彼に対して相手の気持ちを考えていないとか、不謹慎だとか言うんですが実際彼の心を知るすべはないのにまるで代弁者のように語るのも不思議です。もしかしたら彼はなんにも思わないし、もしかしたら希望を持ったかもしれないのに勝手に一般論に当てはめて彼と同じ障害を抱える相手を非難するんですよね。

自分は周りと違うんじゃないかって不安はたぶん特有のものだろうし、普通っていう言葉に敏感になるような気持ちはわからないのだろうかと思ってしまったんです。申し訳ないけど。

普段の生活であればなにか変なことを言ったかとか、空気読めてないかとか、同じ失敗をしたとか色んなことを考えるし悩むんだけど、彼に関してはこちら側の悩みがわかるからつい肩入れしてしまう。

なんだか普通の人たちとの考え方の違いを突きつけられた気分だった。

これも勝手な被害妄想だけど、周りにこういうズレで迷惑と不快感与えてるんだけれど

そこで言葉や態度に出される前に気がつけたら障害でもなんでもないし、薬も飲まずに日常生活送れるんだよなって思ってしまう醜さが嫌だなぁって思いました。

それでも生きているから生きなきゃいけないわけで明日も生活があるので生きていきます。